都立両国高校図書委員「拡大お茶会」

 伝統の「お茶会」を、両国高校図書委員会の卒業生と現役生とが交流する場にできればと考えています。 ”リーダーの育成”との視点からすれば、全国の図書委員会を組織化して「全国版お茶会」を開催することを現役生には期待します。

 この記事は、管理者個人としてのメッセージであり、「お茶会」としてのものではありません。

求められているもの、求めるもの

 大井俊博校長が「淡交会報 第70号」(2013年5月20日発行)に寄せた一文では、「六年間を通じて、じっくりとリーダーを育成する」ことを理念として掲げてきたものの、「進学指導重点校以上の進学実績をあげよ」との要求を無視できなくなったと読み取れます。中高一貫教育の利点を活かし、じっくりと人材を養成することが難しくなったということなのでしょう。

 それは、生徒諸君やその父兄が希望するところに一致するのかもしれません。進学に有利だから、との理由で入学したという声を生徒から直接に聞きもしました。確かに、学校を選ぶ際には、「*** に有利だから」といった判断基準は一般的でしょう。

 現役の生徒諸君はどのように感じているのでしょうか。例えば、リーダーとしての育成教育が以前よりも疎かに なったと実感できるような変化を感じているのでしょうか。

 そもそも、リーダーの育成という理念をどのようにして具現化するのか、その手法については興味が尽きません。例えば、自然科学分野の研究 指導といった限定的な環境においてすら、標榜するものを理解させ、また、会得させることは容易でないことを経験として知っています。相応の時間も必要ですし、また、指導する側とされる側との間に相応しい人間関係も必要です。

 中高一貫教育の六年間をリーダー育成のために充てるとしても、各々が具える自我や知識経験などを勘案すれば、中学三年では覚束ないものであり、高校三年間で萌芽を見出すのがやっとなのではないでしょうか。その芽を育んで、望むように、且つ、望まれるように開花させるには、自力で擾乱に耐えられるようになるまで継続的な環境での保護があるに越したことはありません。

 また、資質が問題となります。

 幼稚園児にも自己の意見を周囲に示す訓練を施し、相互に競わせる機会を与える欧米においても、全員がリーダーに足りる資質を開花させるわけではありません。勿論、全員がリーダーになることもありません。適性に応じて淘汰され、リーダーとなる者とリーダーを支える者、そして、リーダーと対立して閉塞を打開する者などの役割へと振り分けられます。そこには「5%ルール」が存在します。

 両国高校の卒業生が終生を、社会の、そして、世界の上位5%として過ごすわけではありません。また、その5%の中においても、5%ルールは適用されます。全員が一様にリーダーとして在ることを求められれば、そこには齟齬と軋轢が生まれ、折角の資質を損なうこともあると考えなければならないでしょう。

在るべくして在ること

 畢竟、在るべくして在ることが求められるのではないでしょうか。

 それは、恣に振る舞うことでも、怠惰を貪ることでもありません。ヒトたるに値する思考を培い、それを切磋し琢磨し、自らの在りようを見出すことです。自らの立ち位置と振る舞いとを自覚することで、社会のどのような場に在っても、適切な結果を導くための道筋を知ることです。

 周囲に迷惑を掛けることなく、自分にも無理なく振る舞いながらも、相互に尊敬を以て接するようになるということです。

 中学生や高校生であれば、それを難なく即座に実現することはないでしょう。そうした諸君が範とすべき先達を周囲に見出すことに窮することからも分かるように、徒らに齢を重ねたからといって具えられるものではありません。容易ではないからこそ、値があるのだと知って取り組むことになるでしょう。しかし、努力は必要ではあっても、無闇に力むことは却って迷いことになります。

 個々人で取り組むだけでは行き詰まったり、誤ったりすることも多いでしょう。周囲との関わりが、それらを 回避するには役立ちます。周囲との関わりである以上、意思疎通が大前提です。つまり、先ずは自らの考えを正しく伝えるための努力が必要です。

 音声に発するにしても、文字に書くとしても、用いる言葉には各人の思考が如実に反映されます。「きちんとした」言葉を用いることができないことは、「きちんと」相手に伝えようとの意思を欠くことであり、「きちんとした」意見や主張を持っていないことを露呈します。だからといって、それらを恐れる必要はありません。誰かに向かって「きちんと」声に出し、文字にするということだけで、疑問に対する答えが得られることもあります。それは、「きちんと」伝えようとするために、「きちんと」考えたことによるものです。

一事が万事

 事々において、同じ人間が行うものである以上、奇跡的な展開を夢想することは禁忌となります。

 これも世代を問わずに言えますが、特にゆとり教育世代以降に顕著なのが、「いざとなれば何でもできる」と思い込む傾向です。「危機に見舞われたときに、眠っていた強大な潜在能力が突然目覚めて・・・」と本気で思い込んでいる学生を相手にして講義をしたり、研究を指導したりといった経 験は、二度と御免蒙りたいものです。自らの能力を端的に捉える努力をしない、不足している能力を補う努力をしない、そして、指導を唯々諾々と聞きはしても、その意味を考えず、己の血肉とする努力をしないのです。幼稚園児を相手にしているかのような錯覚が常に付きまといました。

 そうやって普段からひとつひとつの事々にきちんと取り組んでいないため、蓄えるものが極めて乏しいのは当然のことです。それは、何も学業や研究に限ったことではなく、日常生活においても反映されます。人との接し方ひとつにも、そうした為人が如実に反映されます。誰かと相対しながらも携帯端末から目を離すことなく、ぞんざいな口調で、言葉には値しない音だけを並べるのであれば、リーダーどころか、人としての資質を疑われます。

 例えば、就職の面接となった時に、さすがに携帯端末はしまったとしても、他人との接し方が根本的に改まるわけではありません。人事担当者は仕事として相対しており、しっかりと見抜きます。百余を数える会社から断られたという事例も、故なきものではないでしょう。

 残念なことに、現在の両国高校の生徒にも、そうした振る舞いをする者が混在することを直接に知る機会を得ました。実力に裏打ちされた「生意気」であるならば頼もしくもありますが、薄っぺらいだけの「横柄」や「不愛想」では、卒業生として、その姿を悲しくも感じます。

 一方で、社会が用意する環境は過度なまでに恵まれていると言えます。各個人が真摯に望むのであれば、思うがままに結果を得ることを可能とするものが用意されています。目的意識を以て適切な努力をすることで報われた学生の姿もまた、経験として知っています。それは一朝一夕で成るものではないことを銘記しなければなりません。

「自律自修」

 「自律自修」。これも、大井校長が先に掲げた文中で実践すべきものとして言及しています。初代校長である八田三喜が掲げた理念であり、校訓として位置付けられています。三十年前の在学当時、これに通じるものを感じることができました。しかし、先日訪問した時には、まるで違った意味に解釈されているように思えました。

 旧校舎の形状も手伝ってか、「牢獄高校」と揶揄された両国高校はかつて、「学習塾要らず」としても認知されていました。両国高校の卒業生でもあり、厳しいことで定評があった、英語担当の或る教諭からも、「両国高校の授業だけをこなしていれば足りると」幾度となく説いておられました。それは印象に強く残っていますし、また、実際にそうでした。そして、その時に身につけた取り組み方は、後々にも役に立ってきました。

 その一方で、両高祭の数日間は羽目を外す、といった了解がありました。”All work and no play makes Jack a dull boy.”の実践です。漫然と残業をすることが推奨される環境に在ってこそ、そうした姿勢は本質的に望ましい評価へとつながることがあると記憶しておいても損はないでしょう。勿論、そうするだけの資質を具えなければなりません。

 現在の両国高校では、業者との連携ありきの学習環境であるような印象を受けました。それによって、全国における位置を知ることは容易になるでしょうし、得られる安心感もあるのかもしれません。外部業者の利用には、生徒自身や父兄からの要望もあるのかもしれません。しかし、そうしなければ払拭できない不安を生徒が抱いていることでしょうか。

 「自律自修」を具現化するには、生徒にとっては最も身近な教諭陣が先達として示すべきものがあると、自らの経験に照らして考えています。

 教諭としても、数値として進学実績を要求され、数年で配置を変えられる状況では、両国高校の伝統や理念といったものを理解し、それを生徒達に伝え る時間もないのかもしれません。そうした枷は、大学の教員も同様であったことから、理解できないとは言いません。

 しかし、両国高校の伝統といったものを現在の制度と組み合わせることで、相乗的な効果を得られるのではないかと期待することもできます。リーダーの養成と進学実績の両立も自ずと可能にもなりましょう。それは、何よりも在学生にとって望ましいことは疑う余地がないでしょう。本来、誰のためにある教育環境であるのか、ということです。

 そのためには、卒業生の参加を得ても良いではないでしょうか。これまでにも「ゲストティーチャー」として卒業生を招いているようですが、趣旨が異なる点に加えて、さまざまな制約があるために実効性を発揮できないように映ります。伝統は器である校舎に存するものではなく、そこで時を過ごした者達の内にこそあると考えれば有効な選択肢となりましょう。

図書委員会「お茶会」

 2013年8月、都立両国高校図書委員会の81乃至83回生による「お茶会」が、高校在学時から数えて三十年ぶりに実現しました。

 それは、図書委員会としての同窓会です。高校の委員会活動で卒業後に集まることは一般的ではないように思います。淡交会の事務局でも前例が ないとのことでした。そのため、正直なところを言えば、それがどのように受け入れられるのかについては少なからず不安はありました。1992 年にも一度開催しましたが、それから二十年間、何もせずに経過していました。

 それでも先輩各位のご理解とご協力を得ながら、結果としては多くの参加者に恵まれました。また、そうした皆さんと少なからず同様の思いを共有していたことを再確認できたことは大きな収穫となりました。

 今回の成功は、当時の図書委員会において、そうした思いを各人に刻み込ませるだけのものがあったためと考えています。そして、それが三十年を経ても尚、それぞれにおいて健在であったと考えています。

 準備の過程において、或る方からは、次のような言葉が寄せられました:

 ”たくさんの本に囲まれて過ごした日々は間違いなく今の自分の「もと」になっています。”

 また、多くの方からは共通して”懐かしい”とも伝えらえれました。それは通り一辺倒の意味ではなく、上掲のような意味合いが伴われたものであった と考えています。

つながり(81乃至83回生)

 何十年経って、それぞれの日常の中に在っても、会っておきたいと思えるような人々。そうした人々と過ごした時間がもたらしたもの。それは、突き詰めれば、互いを尊重しての、人と人とのつながりと言えるでしょう。

 卒業から約三十年ですから、通常の同窓会などがこれまでも催されたようです。そうしたものには不参加であった一方で、今回の「お茶会」には参加してくださった方もおいででした。それは、呼び掛けた身としては幾重にも嬉しいことでした。

 多くの部活のように、何かの結果を求めて、それを得るための技能を伝えることを前提とした上下関係は存在しません。また、学級のように、定められた枠内での受動的な関係でもありません。そもそも本に関わることが、また、図書室の雰囲気に身を置くことが好きであるからこそ望んで図書委員会に加わりました。そして、「お茶会」という場を得て思うままに語り、あるいは、その様子を眺めて、それぞれに育むものがあった。そのように理解しています。

 「お茶会」を含めて、図書委員会においては下級生が遠慮なく発言しましたが、それは不遜によるものではありませんでした。また、上級生が容赦なく発言しましたが、それは威圧のためにではありませんでした。互いに納得し、与え、与えられるための真摯な意思の疎通があったように思います。舌鋒鋭くはあっても、礼を失することはなかったと記憶しています。

 例えば、1983年度の両高祭において図書委員会が「討論会」で出展したことも、そうした中でのひとつの帰結であり、在り得べき表現型であったと思っています。テーマは「自殺」でした。周囲でのお祭り騒ぎを余所に、死ぬ権利と生きる義務について、一般参加者を交えながら学年を越えて意見を交わすことができたのは、日頃から個性と統一とがバランスよく紡がれていたからこそと言えるでしょう。

 勿論、通常の「お茶会」では和やかに他愛もない話題をネタにして駄弁っていることが大部分でした。周囲にお構いなく、場の片隅で女性を口説くことをしていた者も、此処に居ますし。

蓄積と表現の場

 (今でも続いているのでしょうか?)広報誌としての「書窓」は、一般生徒による表現の場としても機能していました。

 匿名性があるとはいっても、同じ高校に通っている全生徒へと配布される印刷物に文章を載せることに心理的な抵抗があっても不思議ではありません。書き手として顔を知られるのではなかとの不安がもたらす気恥ずかしさがあるでしょう。また、それを知らない読み手の反応を、その表情を直接に目の当たりにすることの面映ゆさもあるでしょう。

 例えば、課題として全員が書かされた綴り方が表彰の対象となり、額装されて校長室の前の廊下に掲げられたりすれば、そこを避けて通りたいと思う人もいるかもしれません。況してや、朝礼で読まされるなどは、多くの日本人にとっては拷問に近いかもしれません。

 それまでに何かの形で、自らの意思で文章を公開したことがないのであれば、「書窓」に寄稿することに相応の意識が求められるでしょう。そのことは、企画原稿を掲載する際、一般生徒へと執筆を依頼する折に実感できました。それまでに図書委員かとの関わりを含めて何も面識がなかった女性に依頼する場合、周囲から誤解を受けるのではないかと思える程に、その相手が居る教室へと日参を繰り返すことで漸く口説き落としたこともありました。

 そうした点では、書いた側からの視点を含めて、あらゆる意味で匿名性を具え得るインターネット上でのオンライン小説などとは異なっていました。気軽さと言う点が乏しい分、そこで表現したいという意識に裏付けられたものでした。

 また、委員会内部で執筆する記事もありました。編集後記のような短文から始まり、統計報告や選書報告のような形式的なもの、また、図書紹介や寄稿の呼び掛けなどがありました。勿論、一般生徒からの寄稿だけでは間に合わない場合は、創作も行いました。

 そうした中、1983年度の図書委員長が「書窓」への寄稿を呼び掛ける文に込めた思いを、1984年度の図書委員長が咀嚼し、独自の形で引き継いだこともありました。誰かに対して投げられた思いを受け止めて、それを何かの形で更に誰かへと伝える。そうしたことの繰り返しが、一見しては解がないものに対しても道筋を示すことにつながるのではないでしょうか。

 他を知り、自らを知ることは、在るべくして在るには欠かせないことです。そのために、言葉を互いに通じ合わせることが必要です。一方的に投げつけて済ませるのは適切ではありません。飽くほどに迄やり取りを繰り返すことになったとしても、相互に納得できる理解を導き出す努力を惜しむべきではないでしょう。

 巷間では「批難」と混同さがちな「批判」ですが、それを内や外に対して行うことで、曖昧にしか捉えられなかったものが明らかになこともあるでしょう。それは例えば、高校卒業以降の進路を定めるのにおいても極めて有意義であることでしょう。

 また、その先の人生をどのように択んで進んでいくのか、そして、その傍らにあるパートナーとどのように在るのかを考えるにおいても、屹度手掛かりを与えてくれるでしょう。パートナーとの在り方について、三十年を経て未だ思いをその場に残している経験に照らして強く推奨します。

拡大お茶会への誘い

 図書委員会の「お茶会」。聞くところでは今でも、また、両国高校に限らず、何処の図書委員会でも催しているとか。それらは何れも楽しくないわけがなく、また、後々に記憶に残るものとなるでしょう。

 81回生から83回生が中心となって構成していた両国高校図書委員会。そこには相互の敬意と、当時の図書委員会という環境で自然に共有した意識があったと思っています。

 ひとつは、図書委員でありたいとする、所属以前から具えていたものです。本が好きであることは勿論、多くは小学校や中学校でも図書委員を経験し、更に は大学進学以降も教職課程に司書も含まれる場合は望んで選択するといった按配です。これは、時代や地域を問わずに、共通していることでしょう。

 もうひとつは、図書委員会に所属し、周囲との関わりを経て具えたものです。これは、そこにどれだけの求心力があるかによって大きく左右されると思います。81回生から83回生の両国高校図書委員会にとっては、紛れもなく、五十嵐司書の存在があったればこそ、と言えるでしょう。その上でこそ、個性的な先輩方が各々の魅力を余すところなく発揮し、また、それらに日常的に触れるという好機を、とりわけ83回生の二名が存分に享受できるという環境が実現したと思っています。

 時と状況に応じて形を変えて、得たものを次代へと伝えることも、そうして得られたものから導かれるもののひとつであろうと考えています。その役割 を最も担うべきは、最も恩恵を得た83回生であるべきでしょう。とりわけ、その83回生をまとめるべき立場にありながら、逆の結 果を導いた身としては思うところは少なくありません。

 両国高校における指導理念において優先度を引き下げられたものの、これまでの伝統として、リーダーとして振る舞うために、また、そのリーダーを支えるために現役生に対して期待されているものには何ら変わりがありません。そこで本質的に必要とされるのは、多くの人々と、意味ある形で接することです。見識を広く持ち、相手の視点を知ることです。

 中高一貫教育によって、部活と同様に、図書委員会でも現在の「お茶会」などでは中高の接触が多少はあると聞いています。それは望ましいことです。その延長線上として、より 離れた世代との関わりも積極的に考えてみてはどうでしょう。81乃至83回生は、現役の中高生にとっては親世代に相当します。親の本音などといったものについても知ることができるかもしれません。また、将来の進路やパートナー択びについて生々しく語ることができる機会も得難いものとなるでしょう。

 折角の中高生時代です。受験スキルを磨くことに終始していたのでは勿体無い限りです。

 与えられた機会を活かして、積極的に関わっていくことは決して損失にはなりません。君たちからの連絡を待ちます。

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